2019年12月にリリースされた『JAバンクアプリ』は、口座残高や入出金明細が確認できるモバイルアプリ。他の金融機関も導入するおなじみのデジタルサービスですが、そのリリースについては他行に後れを取っていたと、開発担当の佐藤友紀は話します。にもかかわらず、同アプリは2021年度の「グッドデザイン賞」を受賞し、各方面から評価を集めた理由とはいったい何だったのでしょうか。佐藤が語るこれまでの歩みには、いかにもJAバンクらしい事情と、農林中央金庫らしい取り組みが隠されていました。
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『JAバンクアプリ』の開発担当として配属以来、一貫してその任に当たってきた佐藤ですが、前部署の福岡支店では、福岡県内にあるJAの信用事業を支援、サポートする推進業務に従事していました。それだけに佐藤には、業務を通じて思うところがあったようです。
「デジタルイノベーションの進展によって、金融機関の利用者ニーズも大きく様変わりし、口座の残高照会や振込といった日常的、定型的な金融取引は、PCやスマホで済ませる人が増えていました。こうした変化を受けて他行では、定期預金の預け入れ、住宅ローンの借り入れや繰り上げ返済、税金や公共料金の支払いなど、インターネットバンキングやモバイルアプリバンキングの機能を拡充していましたし、FinTech企業と連携して、家計簿アプリなどの新しいサービスも生み出していました。対してJAバンクはと言えば、インターネットバンキングの利便性向上も道半ばなら、モバイルアプリに至っては提供ができていない状態。これは何とかしなければいけないと、ずっと思っていました」
もちろん、それが無為無策によってもたらされた事態でないことは、佐藤も十分に承知していました。日本全国、津々浦々にまで店舗網を張り巡らし、過疎化や高齢化が進む地域にもしっかりと根を張るJAバンクだからこそ、非対面ではなく対面サービスにこだわってきたからです。それがJAバンクの存在意義であり存在価値のひとつ。この点については佐藤自身、支店という現場にいたからこそ、肌身に染みて理解していました。
しかし、このまま非対面サービスを強化せず、そこで生み出される顧客接点を取り逃がすのはあまりにももったいない。JAバンクのお客様は農家だけでなく、都市部で暮らす勤労世帯の人たちもいる。こうした人たちのニーズを満たせなければ、せっかくのお客様もJAバンクから離れていってしまう——。そう思った佐藤は、次の異動についてはインターネットバンキングに関わる業務を希望していました。そして晴れて配属されたのがJAバンク業務革新部であり、アサインされたのがモバイルアプリ開発でした。
佐藤が着任したのは、『JAバンクアプリ』のプロジェクトが経営会議で承認され、いざ要件定義というタイミングでした。それだけに佐藤はかねてより抱いていた、ある決意にも似た思いを胸に業務に就いたのです。
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JAバンクの特徴として、お客様の年齢層が高いこと、加えてデジタルサービスの利用を不安視し、躊躇する人も少なくないこと。これは佐藤が支店時代、肌感覚としてとらえていたことでした。だからこそ佐藤は、JAバンクがデジタルサービスを展開するにあたっては、メガバンクなどと同様のサービス内容では用をなさないだろうと、ずっと考えていました。そしてそれは、部署がプロジェクトに先駆け実施した事前アンケートによる調査結果からも裏付けられました。そこで佐藤は、自らが抱く決意にも似たその思いを、そのまま開発コンセプトとして掲げたのでした。
年齢やITリテラシーによらず、誰もが安心して使えるシンプルなアプリを実現すること——。それはイコール、日本一使い勝手のよいアプリを実現することを意味していました。佐藤はここに込めた思いを、次のように明かします。
「便利なデジタルサービスを誰もが等しく享受できるようにすること。デジタルサービスから取り残される人をなくすこと。たとえ農村部に暮らす高齢者であろうとも、です。それが私たちJAバンクの役割だと思いましたし、それを実現してこその農林中央金庫だろうと考えました」
プロジェクトには、アプリ開発を担う日本アイ・ビー・エム株式会社(以下、IBM)から8名、基幹システム開発を担うNIC(農中情報システム)から5名、そして当庫からIT統括部3名、JAバンク業務革新部2名が集結しました。開発手法については、伝統的なウォーターフォール(滝)型ではなくアジャイル(機敏)型が採用され、佐藤を含む当庫とNIC、IBMのメンバーが、同じ空間で机を並べて一緒に仕事をするスクラムチームが結成されました。
ここでいうアジャイル型開発とは、システムを小さな機能ごとに分割して設計・開発を繰り返す手法のこと。当初計画段階から完成形までの厳密な仕様を定め、かつ前工程が完了しないと次工程に進まないウォーターフォール型開発よりも、追加要件や仕様変更などに対し、柔軟に対応できるメリットがあると、佐藤は解説します。ただし、ユーザーと開発との密接なコミュニケーションが不可欠であり、この点でユーザーを代表する佐藤が果たす役割は極めて重要でしたが、「ITに関してはまったくの素人だった分、苦労はあったものの、顧客目線に立てたのは幸いでした」と、佐藤は振り返ります。
ちなみに、スクラムチームは機能ごとに2週間の期間単位(スプリント)で、計画・開発・テストを繰り返していきましたが、最初に取り組んだのが「ログインID作成」でした。そして早くもここから、スクラムチームは銀行のアプリに革新を生み出していきました。
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佐藤は、次のように話します。
「一般に銀行のアプリを利用するためには、事前にインターネットバンキングへの加入手続きが必要です。来店、もしくは郵送による手続きが発生する場合もあり、それに1〜2週間を要することもあります。ウェブサイトから手続きできる場合も、専用フォームに必要事項を打ち込んでいくのですが、その過程で記載に漏れや誤りがあるとエラーが表示され、画面を戻すと一からやり直し……なんてこともあります。それをアプリはおろか、スマホの操作にも不慣れな高齢者に強いるのは、あまりにも酷と考えました」
そこで佐藤たちは、キャッシュカードに記載されている金融機関コード・店舗コード・口座番号と、そしてキャッシュカードの暗証番号だけで、アプリを利用できるようにしました。その代わりに提供する機能を絞り込み、本アプリを「通帳アプリ」と位置付け、インターネットバンキングの利用を開始していないユーザーも利用できるよう、そのサービスを切り離してしまったのでした。そのうえで、サービスメニューにインターネットバンキングへの導線を用意し、ITリテラシーに応じてステップを踏めるよう工夫しました。
そして「ログインID作成」にあたっては、すべてをアプリ上で進めるようにし、1画面1アクションとすることで分岐をなくして混乱を回避。サクサク進むイメージを創出しました。また、ホーム画面にはポータルメニューを置かず、残高照会を配置。これによりユーザーは、スマホ起動で1タップ、アプリ起動で2タップ、生体認証を置いても3タップで残高照会画面にたどり着くという、最短ルートを実現させたのでした。それは事前調査からも、もっともニーズが高かったのが残高照会であり、次いで入出金明細照会だったことを重視した取り組みでした。
さらに機能を残高照会・入出金明細照会に絞ったからこそ、その利便性をとことん追求。まずは複数のJAと取引があっても、ひとつの画面で口座残高を一覧で表示できるようにしました。JAごとに金融機関コードが異なるように、これは複数の銀行の口座残高をひとつの画面で確認できることと同等の意味を持ちます。さらに銀行のアプリとしては珍しい機能として、投資信託の残高・損益を確認できるようにしたほか、定期積金(注:積み立て型の貯金商品)の掛金の進捗度合い(積み立て度合い)を公式キャラクターの「よりぞう」がアニメーションで教えてくれる機能や、商品種別ごとの残高を一目で把握できる資産チャート機能を実装させました。
また、アプリの色調としてはJAカラーのグリーンを主体とし、余白である白地を十分に取ることによって、ユーザーの年齢や使用場所に左右されないコントラスト(明瞭さ)を確保。壁紙には農地などの写真を用意するなど、視覚的にも親しみやすく、直感的に操作方法を把握できるユニバーサルデザインを実現させていきました。
こうした一連の取り組みは、そのままグッドデザイン賞審査委員に評価され、2021年10月、『JAバンクアプリ』は同賞を受賞することになりました。審査委員からは、「シンプルかつ誰にでも使いやすいUI・UX(User Interface、User Experience)を実現している」「農業的な色味を取り入れ、農地の写真などをインターフェースに入れているのがユニークだ」「JAのブランディング的にも良い印象を与えている」との賛辞が送られたのでした。
ちなみに2022年1月末現在、『JAバンクアプリ』のダウンロード数は約104万件を数えています。
#4
スクラムチームは今も、PayB機能(税金や公共料金などの払込票のバーコードをスマホで読み込み決済できる機能)や通帳レス機能といった機能拡充に向けて、開発を進めている最中と、佐藤は話します。
「実はこうした機能追加をするたびに、いろいろな出来事がありました。新型コロナウイルス感染拡大を受け、リモートワークでの開発を余儀なくされたり、私自身は妻がふたり目の子どもの出産で数か月間入院し、上の子どもの保育園の送り迎えや食事の世話などで残業ができなくなったり。それでも大過なく乗り切れたのは、ひとえに上司やチームメンバーのおかげです」
とくにリモートワークについては、アジャイル型の開発ができるのか心配だったそうですが、「それも自分の取り越し苦労だった」と佐藤は言います。むしろオフィスへの移動時間をオンライン会議に回せた分、計画をブラッシュアップでき、各メンバーの熱意がモニター越しにもひしひしと伝わってきたそうです。
しかも、スクラムチームのオンライン対応は、社内的にも早かったことから、佐藤たちは自らが実験台となって、さまざまな手法やツールの使い勝手、その安全性を実証しながら自らの部署へとフィードバックすることで、周囲のリモートワークを促していきました。このあたりにも、佐藤たちのチームワークのよさが垣間見られます。
そして何より佐藤がうれしく思ったのは、他行も同じモバイル開発を進めるなかで、IBMの担当者たちがJAバンクはサービスを届ける先のユーザーが異なること、それゆえ独自の視点、発想が必要であることを面白がってくれたことでした。佐藤自身、業務によっては他の金融機関と同じような仕事もあるなかで、当庫には違った視点で物事をとらえ、農林水産業に根差した金融機関らしいユニークなソリューションを企画、実行できるところに、当庫で働く醍醐味を感じてきました。それを社外の人たちが同じように感じ取り、オリジナリティとしてとことんブラッシュアップしてアプリに反映させようとする姿に、農林中央金庫の職員として大いに勇気づけられる思いがするのでした。佐藤はこれまでを振り返って、次のように話します。
「私は入庫以来、誰もが便利なサービスを享受できるような環境を整備することが、地域に根ざした協同組合であるJAの役割であり、当庫が果たすべき使命だと考えてきました。この点で、今回のアプリを世に出せたことで一定の貢献ができたと思っていますし、本アプリの利用をきっかけに、さまざまなデジタルサービスへの利用へとつなげてもらい、お客様のくらしがより便利になったらと願っています」
多機能であることからかえって使いづらいと感じ、利用を諦めてしまうお客様もいるなかで、『JAバンクアプリ』については、機能実装とシンプルな操作の両立こそが生命線であり、これを実現させてはじめて「デジタルサービスから誰も取り残さない」状況を生み出せると、佐藤は考えています。
それだけに佐藤はアプリをリリースして以来、欠かさずに行っていることがあります。それはアプリストアのレビューに対し、すべて返事を書くこと。お客様の声に謙虚に耳を傾け、その意見を最大限に取り入れてこそ、誰にとっても使いやすいアプリとなるはずだし、誰にとっても便利なサービスとなるはずだからです。とは言え、相応の手間も時間もかかっているようですが、「こうしたことをきちんとやってこその農林中央金庫だと思って」と、佐藤は照れくさそうに笑うのでした。
PROFILE
PROJECT STORY
INDEX
農林中央金庫だからできる、
地方創生・地域活性化への取り組み。
投資信託ビジネスの再開を通じ、
組合員の将来に寄り添うJAバンクへ。
洋上風力発電へのプロジェクトファイナンス。
地球規模で人々の生活を支えていく。
ESG投融資を推し進め、
SDGs課題への取り組みを世界に働きかける。
貸出強化支援プログラムの導入により、
JAの「持続可能な収益基盤」を構築する。
新型コロナウイルス感染拡大を経て、
再確認した系統組織の存在意義と底力。
不動産ソリューション機能の拡充を通じて、
お客様のファーストコールバンクを目指す。
年齢やITリテラシーによらず、
誰もが安心して使えるシンプルなアプリ。